2013年02月28日

「復讐の鬼」伍子胥

「屍に鞭打つ」この言葉は何気なく使うことがありますが

元々は一人の男の壮絶な復讐劇が元になっています。

本日はその復讐劇の主役である伍子胥の話し。

伍子胥は元々楚の国に仕えていましたが

暴君といわれた平王によって一族郎党が無実の罪を着せられ

父親と兄が殺され、伍子胥は復讐を果たす為に呉の国に逃亡しました。

父は伍子胥が逃亡した事を知り「楚は国難にあいますよ」と言い首を刎ねられました。

呉国についた伍子胥は呉で王の座を狙っていた闔廬と親交を深め、クーデターを手伝い

無事王位に就かせる事で呉国の重臣となりました。

また、伍子胥は孫武の存在を知っていて、闔廬に孫武を登用するよう進言したといいます。

この進言を聞いて闔廬は孫武を招き、寵愛する美女二人を失いましたが(笑)孫武を将軍として登用します。

これにより、Mr兵法の孫武と楚を知り尽くしている伍子胥を手に入れた呉は

虎が翼を得たが如き勢いで国力を拡大していき、楚を打ち破って首都を攻略します。

しかし、楚を攻略した時には伍子胥の仇である平王はこの世を去り墓に入っており

楚の現国王も首都から逃亡していました。

怒りが収まらない伍子胥は部下に平王の墓を掘り出させて遺体を引きずり出し

屍を鞭で打たせました。これが冒頭の「屍に鞭打つ」の語源です。

伍子胥が楚にいた頃の親友だった申包胥は伍子胥に手紙を出しました。

申包胥「恨み骨髄なのはわかるけど、これあまりにもひどいわ」

伍子胥「もう俺にも時間がないんだわ。道理に反してもこれくらいしなきゃ何の為に逃亡したかわからんよ」

手紙を送ってみて改めて伍子胥の復讐心が燃え尽きていないのを知った申包胥は

秦国に援軍を求めに行きました。

秦王「可哀想だけど自業自得でしょ」

その返答を聞き、申包胥は7日7晩飲まず食わずで泣き続けたところ

秦王「平王ひどかったけど、こんだけ国思う家臣がいるならしょうがないな」

といって楚に援軍を送りました。涙は女の武器だと思ってたのですが男でも通用するんですね。

そんなわけで強国秦の助っ人があり、尚かつ本国の呉に越という国が攻め入ったという情報が入ったので

涙を飲んで楚から撤退する事になりました。

撤退後に呉王闔廬は、居留守を狙ってきた越がうざくなったので越に攻め込みましたが

越の名臣・范蠡の奇策に敗北し、重傷を負いました。

最早、余命も短いと悟った呉王闔廬は伍子胥に後継者について相談しました。

伍子胥「やはり長男である夫差様を王にするべきです。それ以外は内乱を起こす可能性があります。」

闔廬「やつは王の器ではないと思うんだが・・・」

伍子胥「足りない能力は家来が補うものです。序列を乱す事が一番国を乱す事になります。」

そんな流れで夫差が次の国王になりました。夫差は伍子胥に御礼を言い、国の半国を上げると

いいましたが、伍子胥は当然の事を言ったまでです。とこれを辞退しました。

闔廬は必ず越に復讐をするように夫差に遺言し、夫差もまた3年以内に必ずやりますと言いました。

国王になった夫差は毎日薪の上で寝る事で復讐心を燃えたぎらせ、伍子胥の手助けもあって

越を滅亡寸前まで追い込みました。

越王の勾践は奴隷になるので許してくださいと夫差に言ってきました。

伍子胥は反発しましたが、夫差はこれに満足して降伏を認めました。

勾践は降伏後、馬小屋で働かされていましたが徐々に夫差の警戒心も薄まり

越に帰国する事を許されて帰国しました。

勿論、伍子胥は警戒を解いていないので何度も忠告しますが

夫差に信頼されている重臣の伯嚭が越をフォローした為、無視されてしまいます。

ちなみに伯嚭は越から賄賂を何度も貰っています。

越に帰国した勾践は自身も農作業に加わり積極的に国力を回復させていきます。

また、呉から受けた屈辱を忘れないように自分の部屋に苦い胆をかけて毎日舐めました。

一方、越を破った事で調子に乗った夫差は伍子胥の忠告を無視して他国にも進出します。

他国にも進出してこれが最初は上手くいったので、伍子胥の意見をますます聞かなくなりました。

また、越から賄賂を貰っていた伯嚭は伍子胥の悪口を言うように越から頼まれていて

夫差にあることないこと伍子胥の悪口を言いました。

調子に乗りまくりの夫差はますます他国に出兵していきますが、年々軍事費は増大していき

税収もあがり、国は疲弊していきました。

ちなみにこの頃にはもう孫武は将軍を辞めて隠居しています。

伍子胥は助言も聞き入れられず、呉も終わると思ったので他国に使者として出向いた際に

息子を預けて帰国しました。本当はそのまま自分も亡命すればよかったのですが

呉国と命運を共にしようと思ったんでしょうね。

売国奴の伯嚭はこれ幸いとまた大げさにこれを夫差に報告し謀反を企んでいると言いました。

これを知った夫差は怒り狂い、自害しろと伍子胥に剣を送りました。

伍子胥はこう言い残しました
「夫差から半国くれると言われた時に断ってるのに今更謀反はないだろう。」
「俺が死んだ後は目を都の東門にかけておけ。越が東門から攻めて呉を滅ぼす様を見届けてやる。」
「それと俺の墓には梓(あずさ)を植えておけ、王の棺の材料にするためにな。」
そういって自害しました。

使者からこの言葉を聞いた夫差はますます怒り、死体を馬の革袋に入れさせて

長江に投げ捨てさせました。

伍子胥が亡くなって後、力を蓄えた越に攻められ呉は滅ぼされます。

越に攻められ追いつめられた夫差は自害する直前に家来にこういいました。

夫差「伍子胥には合わせる顔がない。私が死んだら布を顔にかぶせてくれ」

そういって自害すると、夫差の顔には布がかけられました。

ちなみに売国奴の伯嚭は降伏後に「悪臣の見本のような男」と言われて殺されました。

夫差が薪の上で寝たことを臥薪、勾践が胆を舐めたことを嘗胆といい

合わせて「臥薪嘗胆」という故事になっています。

最後まで苛烈に生きた伍子胥

今もなお、中国での人気は根強いといわれています。

posted by 免堂九斎 at 10:34| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月27日

「兵法書の大家」孫武

現代のビジネス書でもよく見かける「孫子の兵法」

武田信玄も孫子の一節をとって「風林火山」の旗を作っていますし

かの一説ではありますが、かのナポレオンも愛読していたと言われています。

2000年以上をゆうに過ぎている今であっても兵法書のバイブルとして

受継がれています。

孫子の兵法の作者は孫武・孫臏の二人がいると言われています。

また、孫臏は孫武の子孫だったといわれています。

三国志で有名な呉国の孫家は孫子の末裔と名乗っていたそうです。

ダイブ前説が長くなりましたが今回は孫武の話。

孫武は呉国の王・闔廬(こうりょ)に仕えた将軍です。

呉国に来る前から兵法書を既に書いていて、それを読んだ闔廬が

孫武を招いたそうです。

以下そのエピソード

闔廬「君の本素晴らしかったけど、宮中の婦人でちょっと実演してくんない?」

孫武はそう言われると、宮中の美女180人を集めてもらい二つの部隊に分けて
王様お気に入りの女性二人にそれぞれの部隊の隊長になってもらい装備をさせて
動き方などを教えました。

合図の太鼓を一度打ちましたが余興みたいなものだと思ったのか、女性達は笑うだけで
全く動きません。

孫武「これは私のミスです。教え方が下手でした。すみません。」

そう言って丁寧に教えなおしもう一度太鼓を打ちました。
しかし、女性達は相変わらず笑うだけで動きません。

孫武「しっかり教えたし、命令は徹底した。これは隊長の責任なので斬ります」

そう言って孫武は二人の隊長を斬ろうとしました。
それを見て青ざめた闔廬は慌てて言いました。

闔廬「ちょっとまって!君の才能は分かったから!その二人が死んだら俺生きていけないよ!!」

孫武「私は将軍として王から命を受けました。最善の結果をお届けする為、時には王のいうことを聞けない事もあると兵法書にも書きましたよね」

そういって孫武は闔廬の寵愛する二人の隊長を斬り殺し、新しい隊長を選び
太鼓をまた打ちました。すると、何という事でしょう。
さきほどまで笑うだけの女性達が、孫子の言われるがまま整然と動きました。

孫武「これで完全に指揮がとれるようになりましたよ」

闔廬「・・・もういいっすわ。」

孫武「王は兵法語るのは好きだけど、実践は得意ではないようですね。」

気分を悪くした闔廬でしたが、孫武の手腕に一目置き将軍に任命しました。

将軍になった孫武は、同じく呉にいた名将・伍子胥と共に活躍し

呉の国力を拡大する事に大いに貢献しました。

しかし後年、闔廬は孫武の意見を無視して越という国に攻め込み敗北をして

その時の矢傷が元で亡くなり、新たな王へ世代交代をしました。

どの国もそうですが、世代交代をすると重用する家来が変わるものです。

身の危険を察知したのでしょうか?孫武は辞表を提出して将軍を辞め

隠居したと伝えられています。

ちなみに孫武とともに活躍した伍子胥は後年罪を着せられ自害させられています。

戦争が上手いだけでなく人生の出処進退も鮮やかな人物だったと言えるでしょう。



posted by 免堂九斎 at 11:06| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月26日

「救国の英雄」田単

今回は斉という国に仕えた田単という人物についての話し。

前回の記事に書いた燕軍を率いる楽毅によって、首都を始めとして70城あまりの城を攻め落とされ

斉は残り2城となり、滅亡の危機に瀕していました。

田単は元々安平という城にいましたが、ここも燕の軍に攻められ

斉の残り2城の一つである即墨という城に逃げ込みました。

安平を逃げる時、馬車の車軸を補強するよう周りの人に忠告しましたが

周りの人は気にせずにそのまま逃げ、逃亡中に車軸が壊れて燕に捕まる人多数。

一方、田単の忠告を聞いた人達は無事逃げ切る事ができました。

2城の内の1城は斉の王様がいたので守りが固く、楽毅は

まず即墨を集中砲火する事にしました。

即墨を守っていた将軍は篭城しても勝ち目がないと思ったのか討ってでますが

楽毅に勝てるはずもなく戦死してしまいます。

将軍が亡くなり困り果てた城中では、田単の逃亡エピソードから只者じゃないから

田単に任せようという話しが出て田単は下級役人という低い地位でしたが

一気に将軍として盛り立てられました。ここから大雑把にエピソードを説明

・田単が将軍になった頃、燕の昭王が亡くなり次の恵王になりました。
 恵王は楽毅とあまり仲が良くない事を知った田単は、楽毅が独立を企てているから
 2城落とすのにも時間をかけているという噂を流し、恵王はこの噂を信じてしまい
 楽毅を更迭して騎劫という将軍を新たに派遣しました。
 楽毅は各国からの評判も良く、兵士にも慕われていましたのでこれによって燕軍の
 テンションはだいぶ落ちました。

・田単は次に城内にこんな布令を出しました。
 「食事する時は先祖を大切にする為に、庭にお供え物してね」
 布令に従い庭に供え物をしたところ、供え物を狙って鳥が大量に城中に降下してきました。
 オカルトを今以上に信じていた当時の人達にとって、燕軍にとっては不気味に見えたでしょうし
 斉軍にとっては、何か神が降りてくる前振れなのかとささやかれました。

・鳥の降下を見た田単はこういいました。
 田単「これは神が降りてくる前兆だわ。誰か神乗り移ったっぽい人いる?」
 兵士「そういえば神に乗り移られてるっぽいです(なわけねーだろw)」
 田単「壇上にあがってください。これからあなたの命令に従います。」
 壇上に迎えられてビビる兵士
 兵士「え?まじっすか。すんません、ちょっと冗」
 田単「分かってるよ。それ以上言ったら殺すぞ。ちょっとそのまま演技しろ」
 という具合にこれ以降の命令は神のお告げによる命令であるという事で
 元々身分が低かった田単の命令が厳密に守られるよう細工をした。

・次に田単は燕軍にまた噂を流した。
 「燕軍は捕虜の鼻を削ぐので捕まる前に降伏したほうがいい」
 「燕軍は先祖の墓を次々と掘り返しているので全部掘りかえして
  先祖の遺体を辱めている。たたりがあるかもしれないから早めに降伏したほうがいい」
 これを聞いた燕の将軍騎劫は
  騎劫「そんな噂が出ているならその通りの事したら早めに降伏してくれるな」と言い
 その通りの事を実践します。これを見た城内の軍は「斉軍絶対許さねぇ」と怒りに打震えました。

・次に田単は城壁の守りに年寄りや女子供をつかせて、降伏の使者を送りました。
 騎劫はこれを見て、斉軍はもう守る兵士もいなくて心が折れたんだなと信じきり
 数日間猶予やるから降伏の支度をしろと使者に伝えました。

返答を聞いた田単はようやく準備が整ったと言い、

夜中になってから角に剣を付けて尻尾に松明を付けた牛を門を空けて解き放ちました。

すっかり油断していた燕軍に暴れ狂う牛が突撃していき大混乱を起こしたところ

城内の斉軍も討って出て、溜め込んでいた怒りをぶちかましました。

これにより燕の将軍騎劫は討ち取られて燕軍は散々に打ち負かされ

勢いにのった斉軍は奪われた城を次々と取り返していき、楽毅が攻略した70城を

全て奪還したのでした。

この功績により田単は領土を与えられ

救国の英雄として田単の声望は高まりました。

この後の田単の話しはあまり伝わっていないのですが、趙という国の宰相になったそうです。

英雄としての田単の声望があまりにも高かった為、王様にとって危険な存在となり

斉を出ざるをえなくなったのかと思っています。

楽毅を更迭させるところから始まり、70城を取り返すまでの流れは

映画になってもいいくらいのエピソードですね。

ちなみに牛の尻尾に松明を付けて突入させるのを「火牛の計」といい

日本でも木曾義仲が倶利伽羅峠の戦いで使っています。






posted by 免堂九斎 at 11:11| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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