2013年02月20日

「法により出世し、法により死ぬ」商鞅

前回の信陵君の話で最強国家という言葉が

出てきましたが

今回はその最強国家である「秦」の基盤を作った

政治家の一人、商鞅という人物について

まず何をやった人物かといういと

当時蛮族の国と呼ばれていた秦の国で色々な法を

導入し強国にした

どんな法律か大雑把にあげると

・戸籍制度をつくった
・行政区分をつくった
・連座制度をつくった
・戦で功績を立てた人を賞して私闘した人を罰した
・戦功ないやつは貴族でも身分を剥奪
・物を量る単位を統一した
・太子(王子)の寵愛する側近ですらも罰した。

他にも色々ありますがこれくらいで

上記のような法を導入した事でモリモリと秦はマッチョになりました。

彼にまつわるエピソードで印象に残るのは

・秦で働く為に、当時の秦王孝王と面接した際に
 1度目は自然のまま統治する帝道を説き
 2度目はグレードを下げて徳で国を治める王道を説き
 3度目はさらにグレードを下げて武力などで制する覇道を説きました。
 1〜2度目までは孝王はつまらなくて寝てましたが
 3度目は興奮しまくりでした。

商鞅は面接後の感想で「ちょい残念だったわ」と語ったらしいです。

商鞅もできれば徳のある政治の道を進みたかったんでしょうかね?

なんか相手の好みに合わせていくというのは

石田三成の3杯の茶に通じるようなイベントですね。

また法を守らせる為にこんな事をしてます。

・南門に立てた木を北門に移動した人には大金をあげるよと布告し
 住民はそんな馬鹿なと最初の内は誰も動かさなかったんですが
 「じゃあ俺やってみるわ」と冗談半分で動かした住民に約束通り
 大金をあげました。褒美もちゃんと貰えるんだから法守らないと
 罰が怖いとなり、法に従うようになりました。
 
上記の逸話は約束を守るという意味でー移木の信(いぼくのしん)ー

という言葉として国語辞典にも載っています。

さて、そんな商鞅なんですが、スポンサーの孝王が病死してしまい

新しい王が即位します。ちょっと商鞅がやったことを思い出してください。

・太子(王子)の寵愛する側近ですらも罰した。

はい、私怨バリバリの新王でございます。

商鞅は罪を着せられ追われる身になりますが

自分で作った法が厳しくて徹底していて

関所を出て国外に逃げようとすれば「法律厳しくて手形ない人は無理」

と断られ

匿ってくれるように頼み込んでも「連座制こわすぎ無理」

と断られ、最後には捕まり車裂きの計に処せられます。

勿論、自分で作った「連座制」の為一族郎党処刑されました。

しかし秦は商鞅が作った法については廃止せずその後も続行し

他の国に先んじて強国となっていくのでした。

あまりにも冷徹で徹底した政治家だったので評判悪いですけど

商鞅は信念を持った政治家だったんだろうなと思います。

ちょっと出典を忘れてしまいましたが、古の政治家は

朝廷に参内する際は自分が殺される事を恐れ鎧を着込んで

参内する者もいたそうです。

命を懸けて国を改革する覚悟というのは素晴らしいものだと

私は思います。
posted by 免堂九斎 at 14:32| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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