2013年02月21日

「誰もが憧れた宰相」管仲

三国志で有名な諸葛亮孔明

彼は自らを「管仲・楽毅」になぞらえていたと

言います。

その二人の内、管仲の話になります。

管仲は斉の国の桓公という王に仕えて

斉の国を強国にし、桓公は覇者と呼ばれるようになりました。

ことわざに「衣食足りて礼節を知る」という言葉が

ありますが、これは彼が作ったとされている「管子」という

書物に出てくる「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」

という言葉が派生したのものだと言われています。

ようするに着るものや食べ物など最低限の生活の糧があってこそ

初めて礼節をわきまえることができるんだという事ですね。

彼の行った政策はまさにそんな感じで国を豊かにする事で

国を強くする。「富国強兵」を実践したものだといわれています。

明治時代のスローガンを紀元前の人物が行っていたわけです。

彼の前半生は生易しいものではなく、貧しい生活を送り

仕えていた主のライバルである桓公を暗殺するという任務に失敗し

捕まってしまい処刑される寸前というとこまでいきます。

ここで彼を庇ったのが親友である鮑叔という人物です。

桓公にとっては管仲は自分の命を狙ってた暗殺者ですし

管仲自身何かと評判はよくありませんでしたので

当初は渋りましたが

鮑叔は桓公に「国を保ちたいだけなら斬ってしまって構いません。

ただ、天下に覇を唱えたいなら管仲を登用するべきです。」と言いました。

これにより管仲は桓公に重用されて宰相となり

桓公は管仲の助言を素直に聞き、その才能が活かされて

斉は強国になっていくのです。

管仲は後に鮑叔の事について私を生んだ者は父母であるが

私の事を真に理解してくれているのは鮑叔であると述べています。

この二人の友情を「管鮑の交」と呼びます。

もっと具体的なエピソードがあるので興味のある方はググってみてください。

管仲は病に倒れた際

桓公お気に入りの側近3名について「重用してはいけませんよ」と遺言を残し

死去します。

桓公はその遺言をガン無視してしまい桓公が病死した後に

葬儀はそっちのけで側近3名が主導した後継者争いが勃発し

斉の国力は低下してしまいます。

内乱が収まる頃には桓公の遺体は腐敗し、ウジが部屋の外に湧き出る

ほどだったとのことです。

いかに管仲の助言が的確で、存在が大きかったのかを改めて

知る事が出来るエピソードですね。

また、今の世の中、管仲のような人材がいたとしても

鮑叔のような人事がどれだけいるんでしょうかね。





posted by 免堂九斎 at 13:37| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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