2013年02月24日

「大器晩成の典型」文公(重耳)

大器晩成という言葉はよく聞きますが

まさにそれを体現した方です。

今回は重耳という名前で説明させてもらいます。

重耳は晋という国の王子の一人として生まれました。

優秀な兄弟が多かったのですが、王に寵愛されていた驪姫という姫が

息子を王位に就かせる為に陰険な罠を用意して

重耳は左遷され、さらには命まで狙われたので他国に亡命します。

この時が40代前半、そこから亡命生活が始まります。

では大雑把にエピソードを紹介

・色々な国を渡り歩き管仲の記事で出てきた斉の桓公にも世話になりますが
桓公が亡くなって跡目争いが起きた為、家来から脱出を進められます。
居心地が良かったのか斉を出て行くのを渋る重耳ですが
重耳が酒で酔いつぶれた際に家来達は無理矢理担いで斉を脱出します。
気がついた重耳は家来に激怒しました
重耳「ふざけんなお前ら大願成就しなかったら八つ裂きにして食ってやる」
家来「どうぞお好きに。その頃には私の肉食えたもんじゃないですから」
重耳「ぐぬぬ」

・楚という国にも世話になりましたが楚王が戯れにこんな事を言いました。
楚王「もし君が国に帰れたらなんか見返りくれんの?」
重耳「そうっすね。もしおたくと戦う事になったら三舎(軍隊が移動する3日分の距離)引いてあげますよ」
楚王「(なにその上から目線)」

逃亡生活を続けて19年、重耳が60代になってようやく

秦の国の援助を受けて母国の晋に帰還し、王になれました。

王になったあとは生意気な部下に支えられ国を上手く繁栄させ

覇者とよばれるようになります。

ちなみに上のエピソードで出た楚の国と実際に戦う事になるのですが

重耳は約束を守り、軍を三舎引かせました。

これが「三舎を避ける」の語源です。

人間最後まで諦めてはいけませんね。







posted by 免堂九斎 at 13:41| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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