2013年03月03日

「内憂外患」范文子(はんぶんし)

内憂外患とは、国内に心配事があり、外国ともやっかいな問題が生じている状態をさします。

今回はその内憂外患の語源になった人の話し。

范文子は晋に仕えていた政治家です。

范文子の父は范武子と言い、晋の文公にも仕えていた名将で、「晋の歴史上最高の宰相」とも称されている人物です。

それほどの人物なのでやはり教育も厳しかったようで。

范文子がある日遅く帰宅すると范武子は何故こんなに遅くなったのか理由を聞きました。
范文子は「他国からの使者を接待してました。その使者は3つの謎かけを出しまして
周りの人は誰も答えられなかったので私が答えてやりましたよ(ドヤァ)」と答えました。

それを聞いた范武子は烈火の如く怒り

「周りの人が答えなかったのは目上の人に気を使って
わざと答えなかったんだよ。お前は空気を読まずに3回も周りを侮辱したようなもんだ!
もうこの家終わったわ!!」と言って范文子の冠がボコボコになるくらい叩き付けました。

しばらくして後、ある戦いの後に帰還が遅かったので范武子は范文子に遅くなった理由を尋ねました。
トラウマ再来です。

多分、質問した時点で范武子は殴りかかる用意してたんじゃないでしょうかね?(笑)

范文子はこう答えました「今回は他人が中心の戦いだったので、私に注目が集まらないよう彼が帰還するのを
待ってから帰宅しました。」相当ビビりながら言ったかもしれませんね。

范武子はそれを聞いて「おお、謙虚になったな。これなら我が家も安泰だわ」と答えました。
この件からも分かるように、范武子の教育もあり、范文子はかなり謙虚な性格になりました。

それからさらにしばらくして、晋の国は楚の国と戦う事になりました。
ただ、范文子は「晋は周辺諸国にライバルも減り、強国になりつつありますが、天下を取れるほどの人材が私も
含めてまだ揃っていません。楚とは戦うべきではありません。」

それを聞いた別の家臣は反論しました「楚には恥を欠かされた事もあるし、晋が強国になっているならば今こそ
戦うべき時だろう」

范文子はこう答えます「国の中に人材がいない状態で、ライバルの国がいなくなってしまっては内乱が起きる原因となります。今まで戦争してきたのはライバルが多すぎて、生き残る為にやむなく戦ってきたんです。
今は楚という外敵を作っておく事で国内の結束を保つべきです。」

あれれ、なんか現代でも内部の政治が腐敗している民衆の怒りを無理矢理洗脳教育で仮想敵国作り上げて
逸らしてる国ありませんか?

多分、いくら仮想敵国として祭り上げても絶対に反撃してこない日本は周辺諸国にとって都合のいい外敵なんでしょうね。まさに、范文子の言った事が実践されているといえます。
ちなみにこれが、「内憂外患」の語源です。

さて、また話しを戻しますが結局主戦論の方が大きかった為、范文子の助言は却下されます。
むしろ范文子の息子ですら主戦論を強調してるくらいです。
蛇足なんですが、息子が主戦論強調した際に范文子に范武子が乗り移りでもしたのでしょうか?
「小僧が偉そうに戦争を語るな!」と近くにあった戟を持って息子を追いかけ回したそうです。
やはり、血なんでしょうかね(笑)

戦争の結果はどうなったのか?といいますと晋国の勝利で終わります。
またこの戦争の結末が面白いんですが、楚の王が楚軍の司令官のところに明日の戦略について相談をしに
行ったところ、司令官が酔っぱらっていて、やる気を無くして撤退したというオチです。

戦争に勝って浮かれていた当時の晋国王の詞に范文子は「王も臣下も実力が伴っていない状態で勝ったので
浮かれずに気を引き締めてください」と痛烈な助言をしますが

相変わらず浮かれていた詞は後年、見かねた家臣によって暗殺されてしまいました。
国も人間もほどよいライバルというのは必要なんでしょうかね。
posted by 免堂九斎 at 13:53| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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