2013年02月27日

「兵法書の大家」孫武

現代のビジネス書でもよく見かける「孫子の兵法」

武田信玄も孫子の一節をとって「風林火山」の旗を作っていますし

かの一説ではありますが、かのナポレオンも愛読していたと言われています。

2000年以上をゆうに過ぎている今であっても兵法書のバイブルとして

受継がれています。

孫子の兵法の作者は孫武・孫臏の二人がいると言われています。

また、孫臏は孫武の子孫だったといわれています。

三国志で有名な呉国の孫家は孫子の末裔と名乗っていたそうです。

ダイブ前説が長くなりましたが今回は孫武の話。

孫武は呉国の王・闔廬(こうりょ)に仕えた将軍です。

呉国に来る前から兵法書を既に書いていて、それを読んだ闔廬が

孫武を招いたそうです。

以下そのエピソード

闔廬「君の本素晴らしかったけど、宮中の婦人でちょっと実演してくんない?」

孫武はそう言われると、宮中の美女180人を集めてもらい二つの部隊に分けて
王様お気に入りの女性二人にそれぞれの部隊の隊長になってもらい装備をさせて
動き方などを教えました。

合図の太鼓を一度打ちましたが余興みたいなものだと思ったのか、女性達は笑うだけで
全く動きません。

孫武「これは私のミスです。教え方が下手でした。すみません。」

そう言って丁寧に教えなおしもう一度太鼓を打ちました。
しかし、女性達は相変わらず笑うだけで動きません。

孫武「しっかり教えたし、命令は徹底した。これは隊長の責任なので斬ります」

そう言って孫武は二人の隊長を斬ろうとしました。
それを見て青ざめた闔廬は慌てて言いました。

闔廬「ちょっとまって!君の才能は分かったから!その二人が死んだら俺生きていけないよ!!」

孫武「私は将軍として王から命を受けました。最善の結果をお届けする為、時には王のいうことを聞けない事もあると兵法書にも書きましたよね」

そういって孫武は闔廬の寵愛する二人の隊長を斬り殺し、新しい隊長を選び
太鼓をまた打ちました。すると、何という事でしょう。
さきほどまで笑うだけの女性達が、孫子の言われるがまま整然と動きました。

孫武「これで完全に指揮がとれるようになりましたよ」

闔廬「・・・もういいっすわ。」

孫武「王は兵法語るのは好きだけど、実践は得意ではないようですね。」

気分を悪くした闔廬でしたが、孫武の手腕に一目置き将軍に任命しました。

将軍になった孫武は、同じく呉にいた名将・伍子胥と共に活躍し

呉の国力を拡大する事に大いに貢献しました。

しかし後年、闔廬は孫武の意見を無視して越という国に攻め込み敗北をして

その時の矢傷が元で亡くなり、新たな王へ世代交代をしました。

どの国もそうですが、世代交代をすると重用する家来が変わるものです。

身の危険を察知したのでしょうか?孫武は辞表を提出して将軍を辞め

隠居したと伝えられています。

ちなみに孫武とともに活躍した伍子胥は後年罪を着せられ自害させられています。

戦争が上手いだけでなく人生の出処進退も鮮やかな人物だったと言えるでしょう。



posted by 免堂九斎 at 11:06| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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