2013年03月02日

「秦国にとって最も有意義な買物」百里奚(ひゃくりけい)

題名を見て、買物って何?と思われるかもしれません。

何かというと題名の通り、百里奚は秦国に買われています。

しかも羊の皮5枚(五羖)である。この件から百里奚は五羖大夫と呼ばれています。

百里奚は秦国の穆公という王に仕えた宰相です。

何故買われたのか?という事から話しをしていきます。

百里奚は最初は許という場所に住んでいて仕官の為、斉に向かった。

ここで生涯の親友となる蹇叔と出会います。

斉で就職活動を行おうとする百里奚だが内乱の兆候を察知していた蹇叔に止められて

斉ではその後内乱が起き蹇叔の助言通りになる。(ちょうど管仲が桓公に仕えた頃でゴタゴタしている)

その後周という国で仕官しようとするがこれもまた蹇叔に止められる。

斉の例もあるので百里奚は素直に聞いて今度は虞という国に仕官しようとするが

また蹇叔に止められる。いい加減もう無職生活に嫌気が指していた百里奚は、

もう就職できないじゃんそれじゃ!!!と思ったのだろうか

蹇叔の助言を無視して虞に仕官する事になります。

虞の隣国には晋という国があり、晋国は虢(カク)という国を攻めようとしていました。

晋と虢の通り道に虞があった為、晋は虞に使いを出しました。

「謝礼出しますんで、おたくのちょっと通らせてもらいませんか?」

虞の臣下であった宮之奇は「唇亡びて歯寒しといいます。唇である虢の国が亡びたら

今度は歯である虞の国が亡ぼされますよ。通しちゃダメです。」と言い

百里奚もそれに乗っかり反対しますが、虞王は意見を却下して晋の軍を通してしまいます。

虢を亡ぼした晋軍はついでともいわんばかりに虞を亡ぼし、百里奚は晋の奴隷になりました。

ちなみにこれは「唇亡びて(破れてともいう)歯寒し」の語源になっています。

その後、晋から秦の国に姫が嫁ぐ事になり、姫の下僕の一人として百里奚は秦に送られます。

秦に来た百里奚の才能を見抜いた禽息という秦国の家臣は秦王に百里奚を推薦します。

秦王はあまり聞く耳を最初は持ちませんでした。百里奚は嫌気がさしたのか、秦を逃亡し

楚という国にいき、ここでも奴隷生活を送ります。

百里奚が逃げた事を知った禽息は床に頭を打ちつけながら秦王に彼を推薦し

頭を打ち付けすぎて死にます。

秦王は尋常じゃない推薦ぷりにビックリしたのか、百里奚を探させ

あまりにも豪華な待遇で迎えると他の国にも目をつけられてしまうと思ったので

羊の皮5枚で百里奚を買い取りました。

秦に来た百里奚は秦王と政治について話し、秦王は百里奚の能力の高さに敬服して

百里奚を重用します。もうこの時は70代だったそうです。

百里奚は徳のある政治をがけて、野蛮な国と言われていた秦国を大国にしました。

徳のあるエピソードの一つに、険悪な関係になっていた晋国が飢饉に見舞われ

秦に助けを求めてきた時、「天災はどこの国でも起こり、人民に罪はないので援助しましょう」と言い

食糧を援助しています。

また、国内を巡視する時は衛兵に武器を持たせず、衣類も質素であり人民に慕われていたと言います。

後に商鞅が秦の政治を取り仕切った際、豪華な服を着て、外に出る時は重装備させた衛兵を伴わせた事から

商鞅に対して百里奚と全く逆の行いをしていて災いを及ぼすと忠告した人がいると言われています。

百里奚はまた、親友であった蹇叔を秦王に推薦して登用してもらい、蹇叔とともにサポートしました。

百里奚は最終的に宰相にまでなりましたが、宰相になったころは90歳になっていたと言われています。

ある意味で晋の文公よりも大器晩成の人物だったと言えるでしょう。

百里奚が亡くなると秦の民衆は男女問わず泣き子供も歌声をあげなかったとされています。

わずか羊の5枚にしてこれだけの名臣を手に入れる事ができたというのは

秦国にとって最も有意義な買物だったという事でしょう。











posted by 免堂九斎 at 14:04| Comment(0) | 中国 春秋戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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